ブログ

2025/07/11

盗み見、チラ見(M.T.)

  盗み見というものに興味を持っている。というのは見よう見ようと思って見るより、盗み見した時が最もよく見え、瞬間視しやすいからだ。これが最も際立って意識する時は、街中で前に若い女性が歩いているのをこっそり盗み見する時だ。これは後ろから視線があるかもしれない故、じろじろ見てられない。それだから、盗み見、チラ見が求められるのだが、これがうまい人と言うのは目がいい人といえよう。
 僕は卓球をやるのだが、この盗み見、チラ見の技術を卓球にも生かせないか?また卓球をやることによってこの盗み見、チラ見に長けることができないか?と企んでいる。いわば「見えた」という瞬間視である。しかしこの瞬間視というもの、瞬間視だから見る時間を短くして瞬間に見たらいいというものではなく、むしろ始めは、リラックスした状態で眺めることから始まる。それゆえこれは単なる形式ではないのである。むしろ漠然と、ゆったり眺めることも含めた瞬間視なのだ。
 これを日常生活で、やれるのが異性の歩いている姿を追うことだろう。これをストーカーという人間がいるかも知れないが、ストーカーというのが相手に不幸をもたらすものなのに対し、これはむしろ幸福をもたらすもの故、決してそうではあるまい。
2025/07/11

カードによる運勢(M.T.)

 今ある利用者が創作したカードゲームを販売するプロジェクトが立ち上がっています。そのための営業に必要な実演のための練習も兼ねて、N君とカードゲームをやりました。それをやっていて思うのは、カードゲームというのは、運勢をつけ、奇跡を呼び起こすのに長けるのに持ってこいだということです。運勢を上向かせるには徳を積むことがあります。それゆえカードをやっていても相手に配慮して、カードを見やすく置くだとか、相手が間違ったことをしたとしたら、冗談を交えて指摘し場を笑いに巻き込むだとか?いろんな徳を積めます。そういうことをしつつ運勢を上向かせていきます。そしてカードにおいて、次このカードが来たら勝利に結びつくそれが早々に来たり、相手がこうしてくれたらこうなるのにというのを相手が案の定してくれたり、瞬間、瞬間にその後の人生を左右するような勝負があります。
 確かにカードはカードその後の人生とは直接関係ないとも言えます。それはそれで当たっているのですが、このカードを引いてくるかどうかで、人生とまでいけば大げさかも知れませんがその日一日の気分の高揚ややる気に影響場合があります。。
 タロット占いなどのその人の人生を占う文化もあるように、たかがカードですが、されどカードで、その人の人生とも大きくかかわっているとも言えます。。
2025/07/10

山に例えると(M.T.)

 ご無沙汰してました。ちょっと間が空いてました。また再び書くようになったので、よろしくお願います。

 今度こそは過激な発言で止められることがないよう注意します。それゆえ僕が書く文章には、必ずチェックを入れてくれる女性を作りました。その女性が今度は、「これは」と懸念を覚える文章にはチェックして、僕に物申してきます。それに対して時に申し開きし、場合によったら書き直さなければならないでしょう。

 そういうチェック体制ができただけでも、ついつい暴走してしまう僕にはいいブレーキが搭載出来ました。あとはシフトチェンジとアクセルコントロールをいかにうまくし、ブレーキばかりに頼らないかです。さもなくば下りなどでは、ベーパーロック現象を起こしてしまいブレーキが役に立たなくなります。

 特に僕らは年齢的にはもう下り坂に差し掛かっています。その意味で若い頃のような無茶な苦労はありませんが、しかし山に例えるなら遭難するのは、大抵下りだということも聞きます。それは年取ればとるほど成功者とそうでない人との差が、くっきりとつくということだと思います。。

2025/06/03

久しぶりです(M.T.)

 久しぶりです。ちょっと私的なことと、過激なことを言っていたため、書くのを止められていました。とりあえず利用者の様子を書くことから始めるということで許してもらいました。 

 S君は、あだち充著のタッチの絵の写し絵を、トレースボードで光を当てながら、描いてました。K君はK君で、同じく写し絵を描いているのだが、紙を回しながら、人物画の丸と三角と四角を描けるようになれと指示されてました。

 僕の文章も論理的というより、歌のセリフなどを引用したりして、芸術的要素も含まれているゆえ、絵とも考え方や価値の創出において共通するものがある。

2025/06/03

縮み志向と可能性志向(M.T.)

 Nさんと講演をやって来た。包み隠さず恥を忍んでいうと、五十人から収容する席数を設けながら、埋まったのはたった一席だけだった。それでも、一応入場料千円頂いている故開演した。最初の二十分は不器用ながらも朴訥に話せた。しかし二十分過ぎる過ぎるあたりから、饒舌になってくるというより、先細りというか縮み思考になった。それ故うまく言葉が出なくなってしまった。これは書いてばかりいる弊害だろうか?これを何とかせねばこれからセミナーを受け持つにしろ、講演をするにせよ、その欠陥に苛まれる。

 やはり僕はあまり嫌いなのだが、ある程度プラス思考、可能性思考を持って話すようでなければいけないのだろうか?しかし自分の自慢というより、淡々と正直に事実を述べ、人に感動を与えようと思えば、この縮み思考、終わりを意識したエンディング思考というのが役立つと思うのだが。それとただ漠然と話すというより、このことを是非ともみんなに訴えたいという強い思い、願いの心がなければいい話はできない。それと感動させよう感動させようと思っても人は感動してくれないものである。案外思わぬ感動させようと思って笑い話になったという僥倖が人に意外な興味を与えるのかもしれない。

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