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今日は仕事終わったと770円の定食を食べに、京橋の焼き鳥屋Kへ行く。そこは何を隠そう、舞ちゃんの働く職場である。確かに街には金を使わそうといういろいろな誘惑がある。それらの誘惑に打ち勝って見事勝利者になってこそ、結婚という一つの栄冠が手に入れられるのかもしれない。そのためにも勝たねばならない。それらの数々の金を使わさんとする誘惑と。こんな厳しいことを連発しているのも自分の暮らしが緩んでいることへの危機感がある。だんだん自分の生活が贅沢になっているのは、金持ちと付き合っているからかもしれない。ここで言う金持ちとは金を持っている人というのではなく、金遣いの荒い、倹約の心を持たない人間という意味である。それ故金を節約、倹約しようと思えば、ある意味ケチで、荒遣いしない人間と付き合わなければならない。但し、みみっちい、けつの穴の小さい人間はお断りだが。
今日もそんな誘惑との戦いである。しかし朝からこれを書いていて少々疲れた。歌でも歌ってストレスを解消したい気分でもある。しかし資本主義の世の中、金のいることばかりである。金を使わない楽しみ、趣味、生き甲斐というものを持たねばならない。それによって金を使う料が減ってくる。少なくとも有効に使って、その消費が生産や建設を生み、やがては金の生る木になる見えない財産を形成できる。見えない財産、これを今の間にどれだけ築けるか、それが将来的に財産を築けるか否かの鍵となる。それは僕で言えば、健康な体だとか、文章を書く力だとか、人徳を積むことだとか。
今日彼女の舞ちゃんところへ行く日である。ここは一応和の輪会のブログなので、福祉の事に関連付けて書くと、彼女も介護の仕事をしていたようである。それで僕の母親が悪い。もし介護にでもなったら、たちまちにして困る。そのためにも「家に来てくれたらいいのにな}と内の事業所の女性にいうと、「そんな介護のために彼女を呼ぶのはどうかな?」と言われた。そんなものなのだろう。女性とて人間である。他人様を介護するために来たくはあるまい。しかしその不可能を可能にするのが僕と彼女との愛である。彼女と僕の愛が勝つか?他人様を介護する苦労が勝つか?試されるところである。
そのほか彼女は前にも書いたことがあったように、カラオケ喫茶で勤める雇われママである。いろんな客がやってくる。猥談やダジャレをいいに来るおっちゃん。自慢の声を披露に来るシニアの女性。また舞ちゃんがもう一つダブルワークとして勤める焼き鳥屋で声をかけてくれたとやってくる男性と引く手数多である。しかしどんな人にも彼女は持ち前の愛想を振りまいて、何時しかファンにしてしまう。そんな不思議な魅力を持っている。
しかし中には問題児的客もいるかもしれない。そういう客には注意して聞かない場合は、「うちの方針に従えないのなら、よそ行ってくれ」というぐらいでなければこれから店をやって行くに置いて回らない。それをある先輩の女性に言うと「そこにおいてこそ、Tさん(僕のこと)の出番じゃないですか?」と言われた。そうかもしれない。僕も男らしいとかなんとかいうのなら、そういう時こそ女の頼りになる男になってこそ、その領分が果たせるというもの。
誰からも好かれる彼女と少々嫌われても信念を貫く男。お互いの欠陥を補い合って、うまくやって行けそうな気がするのだがどうだろうか?
昨日は立花のKSというカラオケ喫茶に行った。そこは舞ちゃんとは違って理沙ちゃんと言う雇われママが働く。彼女も直接この事業所とは関係ないが、クラウドファンディングをやるために、パソコン操作を教えてもらえないかという狙いで繋がった。舞ちゃんよりさらに十下の今度の七月で三十歳になる若いぴちぴちギャルである。
元イベント会社に勤めていて、音楽の方も学生時代吹奏楽をやっていた、芸術肌で気さくな子だ。夜の飲み屋業界も長く、耳年増なのか、三十でありながら、「子供だなんて思ったら お間違いよ 女の子」というセリフがよく似合う何でもよく知っている子である。しかし三十という若さ、しっかりとしたところがある半面、時々弱さも見せてそれがたまらなく男には守ってあげたい衝動に駆られる。普段強気で、弱さなど見せない女性がふと弱さを垣間見せたとき、男はたまらなくいたい気なしおらしさを感じる。
さっきも言ったようにこのようなことはプライベートに当たり直接仕事とは関係ないように見えて、こうして会社のブログを書く材料として持ち出すことによって、結び付いている。そしてそこで体験した感動や喜びはこうして仕事でブログを書く励みとなっている。昔からこのような商売の女性は水商売の女として、一段下げて見られたいたが、僕ら男にとって貴重な存在として改めて見直したい。
福祉の闇について考えている。闇だから福祉にいる人間にとって、あまり面白くない耳の痛い話かもしれない。福祉は女所帯ゆえ、男を女々しくしてしまう。僕は格闘技を習っているのだが、言わばそれとは対照的な世界である。女々しくといえば弱弱しいということをイメージしてしまうが、その従事する人間にもたくましく、忍耐強い人もいる。
しかし勇気に欠けるところがある。「でっかい奴が勝つならば あたりきシャッポのこんこんちきよ ちびが勝つから 男が惚れた」というようなところがない。「長いものには巻かれろ」で権力に対しては従順で、上の者にはよう文句言わないところがある。いわば福祉は女の権力者が多いゆえ、下の者、利用者は上の者に対してよう物申さないのである。
しかしその不満の矛先は一体何に向けられるのだろうか?僕なら文章において昇華しようとする。それが出来ぬ者は、どうするのだろうか?その辺に闇が潜んでいるように見える。。
それと思うのは福祉は一つの目的に向かって、集団主義が発揮できにくいところがある。それ故自分のためではなくみんなのために、全体のために考え行動するということが疎かになる。従って奉仕や忠誠心というものが生まれず、高い道徳観念が育たない。言わば女は輝いても男は没落する社会なのである。