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2025/06/03

縮み志向と可能性志向(M.T.)

 Nさんと講演をやって来た。包み隠さず恥を忍んでいうと、五十人から収容する席数を設けながら、埋まったのはたった一席だけだった。それででも、一応入場料千円頂いている故開演した。最初の二十分は不器用ながらも朴訥に話せた。しかし二十分過ぎる過ぎるあたりから、饒舌になってくるというより、先細りというか縮み思考になった。それ故うまく言葉が出なくなってしまった。これは書いてばかりいる弊害だろうか?これを何とかせねばこれからセミナーを受け持つにしろ、講演をするにせよ、その欠陥に苛まれる。

 やはり僕はあまり嫌いなのだが、ある程度プラス思考、可能性思考を持って話すようでなければいけないのだろうか?しかし自分の自慢というより、淡々と正直に事実を述べ、人に感動を与えようと思えば、この縮み思考、終わりを意識したエンディング思考というのが役立つと思うのだが。それとただ漠然と話すというより、このことを是非ともみんなに訴えたいという強い思い、願いの心がなければいい話はできない。それと感動させよう感動させようと思っても人は感動してくれないものである。案外思わぬ感動させようと思って笑い話になったという僥倖が人に意外な興味を与えるのかもしれない。