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S君と将棋をやった。今日は殊の外弱かった。それとも僕の調子が良かったのか?とにかく圧勝だった。いまさらにおいて、よくスポーツの技は体全体を使ってかけろと言われるが、将棋も目だけでやっているようで、聴覚も嗅覚も動員しているように思える。その意味で、目や耳は酷使し、鼻も鼻水がよく出て、つまりまくってたから、噛みまくっていた。それが今になって、鼻の感覚の悪さに繋がり思考力にも影響しているのかもしれない。
もう六十くらいってもう若い頃の感覚は戻ってこない。それ故になおさら、再生医療じゃないが一度障害などで、痛め、壊れた感覚を蘇り、復活させるということをしてみたい。昔取った杵柄、かつてやってそれなりの成功を収めて、やがて限界を感じ頓挫してしまったようなことを、再び再挑戦してみる。そういうことを試してみたい。その温故知新こそが、新しいものを創出するヒントにもなり、きっかけになると思える。
昨日新しい出会いがあった。立花のRというカラオケ喫茶で、今度姫島の方で、新しく同じカラオケ喫茶を新規開店させるというママと出会った。何やらベトナム人で、日本にきて二十年になる、三十代後半の美しい女性だ。初対面の時から僕に会釈して、如何にも気に入ってくれたような物腰をする。このことを舞ちゃんにも話したが、「それは自由よ」なんてことを言うから、「いや君は俺のことを気にかけている」というと、はにかんで笑っていた。舞ちゃんは、そんなことにとやかく言わない人だが、でも厚顔無恥に自由奔放に振舞っていると、いつの間にか去って行ってしまう。そのような女である。それ故気を付けないと。
勿論その女性と浮気するつもりはない。ただそういう人脈開拓をやっていると、クラウドファンディングをやるに当たっても、思わぬインフルエンサー(感染者)との一期一会の出会いがあるんじゃないかと期待している。兎に角世はSNSの時代である。それによっていかに仕事を見出し、創出していくことにより、社会を動かす大きなエネルギーである、若い者の心をつかむことが出来る。
そして余は個人主義の時代は過ぎ去り、再び集団主義の時代へと舵を切りつつある。言わば仕事というものを個人でやるのではなく、みんなで協力し合ってチームワークの下なしていく。それが今の時代古いようで新しい流れとして起こり始めている。
地位、肩書というものは福祉の世界ではあんまり重視されない世界である。それは男に比べて虐げられている女の平等への希求がそうさせているのかもしれない。しかしうちの職員のkさんは肩書というものを重視する。それはある意味女の男に対抗するステータスというか、威張り散らす男への葵の印籠みたいなものなのだろう。こういう「錦の御旗の下仮受けた肩書なのだから、お前らも従わんかい」という服従対象である。
しかしひょっとしたら今の福祉も曲がり角に来、そういう奥の手も出さねば、利用者のわがままを抑えきれなくなっているのかもしれない。言わば、わがまま千万を言って言うことを聞かぬ奴に対して、権力をかざし、「この印籠が目に入らぬか?」と肩書を持ちだす。上記したように肩書をあまり重視せぬ福祉には、これがある意味秘策のような効果があるのである。
それ故福祉の世界も2004年に自立支援法が大幅に改正されて二十一年。曲がり角に来ており、従来のやり方ではいろんなところにほころびが来ている。福祉だけじゃなく少子高齢化社会の真っただ中にいる日本の国自体が、めまぐるしい変遷期を迎えつつある。
地位、肩書というものは福祉の世界ではあんまり重視されない世界である。それは男に比べて虐げられている女の平等への希求がそうさせているのかもしれない。しかしうちの職員のkさんは肩書というものを重視する。それはある意味女の男に対抗するステータスというか、威張り散らす男への葵の印籠みたいなものなのだろう。こういう「錦の御旗の下仮受けた肩書なのだから、お前らも従わんかい」という服従対象である。
しかしひょっとしたら今の福祉も曲がり角に来、そういう奥の手も出さねば、利用者のわがままを抑えきれなくなっているのかもしれない。言わば、わがまま千万を言って言うことを聞かぬ奴に対して、権力をかざし、「この印籠が目に入らぬか?」と肩書を持ちだす。上記したように肩書をあまり重視せぬ福祉には、これがある意味秘策のような効果があるのである。
それ故福祉の世界も2004年に自立支援法が大幅に改正されて二十一年。曲がり角に来ており、従来のやり方ではいろんなところにほころびが来ている。福祉だけじゃなく少子高齢化社会の真っただ中にいる日本の国自体が、めまぐるしい変遷期を迎えつつある。
カードゲームを売り出そうとしているのだが、その攻略本、必勝本も出そうと思っている。僕はゲームに関してさしてやってこなかったし、素人の部類に入る。しかし小さい頃人生ゲームやトランプや花札に興じた経験、体験を懐かしげに思い出してみる。するとやはりそこに何と言っても、「負けてしまう」という小便を漏らしてしまいそうなスリルや、「やった。勝った」という王者になったような優越感。それは子供だった故、何物にも代えがたい快感があった。ゲームの面白さというのは何といってもその童心に帰ったスリルとときめき、驚きである。これを臨場感を持たして文字で体験させたとき、それがたとえ稚拙な専門用語の乏しい、攻略本、必勝本であっても、読む者を魅了し、戦略や決断勝負の世界へ誘える。
ただゲームというのは負けたら、大損をする。しばらくその人の人生、生活に支障をきたすという賭博性もある。それ故そこのところは金を賭けたりすることなしに、あたかもそれを賭けているかのような世界へと誘うにはどうしたら良いか、説いて行きたいと思う。