ブログ

2025/05/12

勘違い、誤解(M.T.)

 金曜日にちょっとしたもめ事があった。N君の友達のIさんというものが事業所にやって来た。自作したカードゲームを広め、事業所の絵の巧い女性にそのカードやパッケージのデザインを描いてもらうのを依頼すべく。そして僕もそのカードゲームを実際にやり、よく出来たものゆえ、その体験談をブログに書いてアップした。
 しかしそのIさんにとって見たら、まだ売り出す前の機密情報の漏洩のように感じたみたいだった。僕としては広告宣伝というのはある程度、どういうところが面白いですよ。見所ですよ。期待しといてくださいとすべて明らかにするのではなく、匂わして前評判を起こさねばならない。確かに僕の講評は就業時間五分前に書いたゆえ、文章も練っておらず、その内容の固有名詞だけを躍らせる、稚拙なところもあった。ただ何とか前評判を高めてブームに火をつけたかった。その僕なりの任された親心をわかってもらえなかった。
 それですぐにそのブログは消せということで、消したのだが、いまだにそのわだかまりが残っていて、その間に立ったN君が心労で、今日は事業所に来ていない。
 
2025/05/08

裸一貫、腕一本(M.T.)

 努力至上主義は福祉の宿命である。福祉というのは女所帯。それ故どうしても男が思い切った勇敢なことが出来にくい土壌がある。
 さっき言った千葉真一の「少林寺拳法」という映画で、事故で片腕を失くし、練習もできず、ぐれて酒浸りになっていた弟子がいた。主人公の宋道臣は、弟子に教えるべく、少林寺の技をかけ「あまったれんな」と殴る。そしてプライドを傷つけられかっとなった弟子が、宋に技をかけ一本取る。「やればできるじゃないか?」と宋は弟子を抱き寄せ、また再び弟子は少林寺の練習に励むことを誓う。
 これは昭和五十年の映画とはいえ、こういったこと、たとえ殴るということをしなくとも、このようなことを演出するということが今の福祉国家ではできにくくなっている。勇気一つ、腕一本、裸一貫で、いわば言葉じゃなく態度で示し、教えるということが、極めて困難な世の中となっている。男が女にしてやられているというか?情けなく、惨めに甘んじている時代となっている。
2025/05/08

当たり前故、おざなりに(M.T.)

 今朝朝礼の時に女性の職員さんから、食事する時には作ってくれた人に対して感謝すること。そうすればおのずと食べる前に、「いただきます」、食べた後に、「ごちそうさま」という声が出てくるという訓示を聞きました。もう大人だから当たり前のこととしてわかっているが、その当たり前のことが如何にも当たり前と化して、逆にそういう気持ちを忘れているのでは?という訓示だった。
 そう考えてみたら、当り前のこととしてやってて、当たり前故、逆に新鮮味を失くしてだらけておざなりになっていることが結構ある。例えば掃除。これも五年ほど前からヘルパーさんを頼み、一緒に日曜日にやっている。しかしヘルパーさんがメインとなってやってくれることが当たり前となって、そのことに対する感謝の気持ちが失せている。もっといくらヘルパーさんがやってくれることとはいえ、感謝の気持ちを持って、自分自身も常日頃からヘルパーさんがやらないような箇所を、掃除しなければと思う。その意味で当たり前というのは怖いことだと改めて思った。
2025/05/07

孤独な笑みを 夕陽に晒して(M.T.)

 先ほど言った「巧言令色鮮なし仁」などというのは、僕は文章を書くせいかもしれない。不満がたまって、べらべらと口にして解消するのは何かもったいないような気がするのである。言いたいところをぐっとこらえて文章という芸術に昇華する。そういうことをやって来た。「芸術は爆発だ」という芸術家のセリフがあるが、まさにそれを実践して、文章を紡いで来たのかもしれない。
 まだ女の、井戸端会議で代表されるような夫やその他の男に対する不満を何の変哲もないおしゃべりで解消する。それは女の嗜みでもある。しかし男がべらべらしゃべるというのは、何らかの志がない証拠である。僕はさっきも言ったように、「言葉じゃなく、態度で」という格言を好むため、どうしてもこのようになってしまう。
 ルパン三世の歌に、「孤独な笑みを 夕陽に晒して 背中で泣いてる 男の美学」というのがある。男というのも仕事ということで女以上にしゃべる機会がある。しゃべらねばならない場合がある。しかしそんなときもしやべって解消してしまうのではなく、一つ思いを飲み込んで、違う形で昇華する。これが男の生き方、生き様だというのである。
2025/05/07

巧言令色鮮なし仁(M.T.)

 昨日また舞ちゃんのところへ行ってきた。結婚の話になったが、彼女は否定した。なかなか難しい。結婚ともなると内の家族、向こうの家族全てとの付き合いが始まるということである。それにはまだその時ではないと判断したのだろうか?しかし希望は持っている。まだ自分自身改善できると思っているし、成長できると思っている。だから彼女に、「前はそうだったけど、これなら」と思わしむる可能性はある。とにかく彼女に「それなら」と思わしむるに至ってないということだろう。
 ただ言葉を弄して彼女を口説いてみたいとは思わない。それは前から言っているように「巧言令色鮮なし仁」と思うからである。僕はどちらかというと「言葉ではなく態度で」というのが好きである。だからと言って言葉を洗練することを怠るわけではない。ただ「人は馬鹿だと笑おうが この世に利口は溢れてる」という歌のセリフが好きである。好きなのに何にも云わないなんて馬鹿げているが、何よりも君のことを思っているのは僕だよ。馬鹿と呼ばれてもというような感じだろうか?
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