努力至上主義は福祉の宿命である。福祉というのは女所帯。それ故どうしても男が思い切った勇敢なことが出来にくい土壌がある。 さっき言った千葉真一の「少林寺拳法」という映画で、事故で片腕を失くし、練習もできず、ぐれて酒浸りになっていた弟子がいた。主人公の宋道臣は、弟子に教えるべく、少林寺の技をかけ「あまったれんな」と殴る。そしてプライドを傷つけられかっとなった弟子が、宋に技をかけ一本取る。「やればできるじゃないか?」と宋は弟子を抱き寄せ、また再び弟子は少林寺の練習に励むことを誓う。
これは昭和五十年の映画とはいえ、こういったこと、たとえ殴るということをしなくとも、このようなことを演出するということが今の福祉国家ではできにくくなっている。勇気一つ、腕一本、裸一貫で、いわば言葉じゃなく態度で示し、教えるということが、極めて困難な世の中となっている。男が女にしてやられているというか?情けなく、惨めに甘んじている時代となっている。