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迫力というものにこだわっている。同じことでもこの人には言えるが、あの人には言えないということがある。それはプラスの方へ考えれば、何でも言いやすい気さくな人と、言いにくい仏頂面した人というのがいるということである。
しかしそれとは裏腹に、この人には言えるがこのに人には言えない。すなわちこの人なら言っても何もよう言わないだろうが、この人に言うのは怖いということがある。これはさっきとは逆に見えて実はつまるところ同じで、良い事なら喜ばれ、誉められるが、悪い事を言えば怒られ、諫められる。それだけその人ならなんでも相談できる小さな声にも耳を傾ける人だが、ひとたび怒らしたら怖いところを持った人というか?だから親しみ込めて話せるが、なめとったら怖い。そういう人間を目指したい。
もう一人Hさんというのもいる。この人は元NECというコンピューター会社の最大手に勤めて活躍した人である。十三年前に不慮の交通事故にあい、出世街道の方向転換を余儀なくさせられた。非常にパソコンの技術を持っている人で、ちょっとしたことから,僕らには何をやっているかちんぷんかんぷんな事迄,どれほどお世話になっているかわからない。これだけ貢献しているのだから、A型に上がっても決しておかしくないのだが、上記した事故の後遺症で身体が不自由で、B型に病む負えず甘んじている。
またコンピューターという理数系が得意ながらも絵やイラストなども嗜み、芸術に対する造詣も深い。
それと管理者の司法書士の旦那さんとも懇意にしていて、事業所で顔を会わしたら、色々仕事の話題で花が咲いている。これから夏に向けてどんな内容かまでは知らないが、何か仕事の計画を練っているようである。
B型の就労現場に、もう一人K君というのがいる。彼はキリスト教会に通う、敬虔なるクリスチャンで、聖書のことについてよく記憶している。
彼によれば仏教徒とキリスト教徒の違いは、仏教では徳を積んでいって、道を追求するという側面を持つ。一方キリスト教では神というものを信じるだけで、神の国、天国へ行けるという。それ故キリスト教の方が敷居が低く「百匹の子羊のうち一匹が迷ってどこかへ行ったらその一匹のために探して回る」というようなことを言いたいんだろうか?
僕の受ける感じ,仏教の方が徳を積んでいって立派な人間になれ、立身出世を目指せというようなところがある。しかしやがて立派な人間になって、貧しい人々を救ってやれという側面も併せ持つ。少なくとも日本のキリスト教は神の下にみな平等だが、仏教は徳を積む人ととそうでない人とは差別化を図り、正義と悪を区別する。
僕はどちらかというと仏教徒だが、キリスト教の女性の活躍にも感謝するどっちつかずの男である。宗教の場合教祖は大概男だが、いずれの宗教にしろ、女性の影の支えがあってこその教祖の揺るがない確信である。女性を性の奴隷やお手伝いのように扱う宗教は決して大きくなれないし、広まらない。
クラウドファンディングをやりたいと思っている。これは直接この事業所とは関係ないが、僕の歩んできた道自身がここ二十年来福祉の道故、その道を辿って行く上で辿り着いた事業だから、関係ないとも言えない。
クラウドファンディング自体、ここ二、三十年来のインターネットの普及と共に、福祉、高齢化社会の中で出現してきた寄付体系だから、福祉と大いに関係しているのだろう。
そしてそれに敏感に反応したのが教育で、高齢者は増える一方だが、子供の数は減り、目や耳がよく、呑み込みも早い子供や青年の教育と社会への反映が、将来の日本を左右するといっても過言ではない。
そんな中で、インターネット空間で寄付を募り、事業を起こす。これに成功すれば社会的成功者である。そんなことを欲している。
S君と将棋をした。それまでは負け越していたのだが、ここ八連勝中だ。十連勝行くかと思っていたが、残念ながら連勝はストップさせられてしまった。将棋というもの、諺で人生に例えられるように、その一局、一局にその人の性格、人格が反映される。観察力に欠ける人間はすぐポカをするし、コツコツ積み上げていくというより、一発逆転を狙うような人間は、雑だが起死回生の手を見つけたりする。
そのS君というのは、地頭はいい筈なのだが、僕の方が将棋倶楽部へ行っている経験によって昨今は優位に立っているという状態だ。
僕が昨今こだわっている考え方というのが「学ぶより、真似ぶ」というものだ。これは一見パクリをやっているようにも見えるかもしれないが、その人に憧れてその人のようになりたいとぴったり真似をする。「芸は教わるものではなく、盗め」という諺がある。この真意は、パクれ、盗用しろという意味ではなく、その人の秘密を秘かに読み取って、それを真似、第二、第三のその人になれという意味と僕は取っている。それ故それを盗まれた者はそのことによって、怒るのではなく、「よくぞ盗み取ったあっぱれ」とうれしいのである。これぞ僕は理想の師弟関係だと思っている。
こういう関係がいつの間にか希薄になっているのではないだろうか?
(農園活動)
皆さんは農福連携という言葉を知っているでしょうか?これはなり手がない農業に、現在増えている福祉の利用者を当てて、人手不足を解消する。そして福祉では都会っ子が多いゆえ、土地を耕し、種を植え、育て、収穫するという、作物を作り上げていくという喜びを知らない障碍者も多い。彼らに畑にかがんだり、立ったり、歩き回ったりすることにより、自然との触れ合いの中で身体を動かしてもらい、ジムやスポーツでは味わえない自然の中で動き、働くことの喜びを知ってもらう。これによって運動不足を解消し、同時になにかを生産し、作り上げていくという創造の喜びを共に分かち合う。
これらを農業と福祉の連携、すなわち農福連携といって、2019年に農福連携等推進ビジョンとして、政府が推進しています。この農福連携等というのは、単に農業のみならず、例えば、うちで言えば農家レストランの庭内での楽器を使った演奏会を開くなどの芸術活動なども取り入れたユニバーサル(普遍的、すべてに共通である様)な取り組み、価値の広がりを指します。
こういったビジョンの下で、兎に角自然と戯れる中で身体を動かし、汗をかき、そしてthanks giving、収穫に対する感謝、喜びを味わいつつ、恵みの食物を頂く。この経験を我々とともに味わってみませんか?
(たこやき)
大阪名物で今や日本全国区となったたこ焼き。スタッフが厳選された材料を仕入れ、利用者がどうしたら限られた経費と条件で、いかに美味しく焼き上げるか、創意工夫して自信ある味わいに仕上げました。いきなりの改善は困難ですが絶えず試行錯誤を繰り返して、創造的な心を失うことなく、作ることを心がけます。あなたも一度焼いてみませんか?
(数珠{パワーストーン}作り)
何故数珠かといいますと、経営者が仏門に帰依しており、仏の道を追求して仕事に当たっております。数珠というのは百八つの珠からできています。これは、百八つの煩悩、金剛界百八尊を表すといわれています。その関係から是非とも利用者に数珠という仏教徒にとって神秘性ある装具を作り、それを身に着けて困った時の神頼み(いや仏頼み)する際に使って見て欲しい。あまりいえば宗教的な勧誘となるのですが、私どもとしてはその神秘性を見て制作し、装着してみる中で、情操というものを味わって欲しい。そういう願いの元この作業を用意しました。まず数珠というものを気軽に手に取ってそのミステリアスな輝きの恍惚感を体験してみてください。
(岩塩作業)
岩塩とは、海底が地殻変動のため隆起するなどして、海水が陸上に閉じ込められたりし、塩分が濃縮したものです。平たく言えば、海水が化石化したものと言えます。それは長い年月をかけて作られた天然塩で水に溶けにくく、精製塩より、丸みや旨味があるといわれています。それらの岩塩を水で洗い、計り分けし、袋詰めする。そして輝石という宝石商で販売してもらいます。
塩というのは身を清める働きをしてくれます。この岩塩作業を通じて、もう一度塩という我々にとって欠かすことのできない代物を習い知りましょう。